(中央日報 2014/01/05)
教学社発行の韓国史の教科書を採択した高校10校余りがバッシングを受けている。これらの学校は全教組の市・道支部から「○○高校は教学社の教科書採択計画をただちに撤回せよ」という抗議を受けている。学校の名前はツイッターなどソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)上に出回っており、親日・歪曲歴史教科書採択学校として罵倒されている。学校には抗議電話、市民団体関係者らの抗議訪問も続く。すでに12校は採択を断念したという。
この教科書は教育部の検定を最終通過した7種類の韓国史の教科書のひとつにすぎない。歴史学者が参加した国史編纂委員会の検定を受け、後ほど多数の間違いが発見された他の教科書と同じように教育部の修正命令を経たものだ。3月から授業現場で使われる教材だ。それでも教学社を採択した慶尚南道(キョンサンナムド)のある高校教頭は、「教育部の検定を受けた教科書を採択したのだがなぜこのような非難にあうのか理解がいかない」と訴えている。さらに親全教組の教育長がいる京畿道(キョンギド)教育庁の関係者は教学社を採択した高校に対し特別監査をすると話したりもした。
このような状況展開は正常と見ることはできない。採択できないように妨害する外部圧力であり脅迫だ。SNSにリストが出回り、抗議の電話が鳴りやまない状況でどこのだれが不利益を顧みずこの教科書を採択することができるだろうか。
こうした外部圧力は韓国の教科書発行体制を明白に否定する行為だ。政府が執筆と検定基準を定め、これに合わせ民間出版社が教科書を作って出せば、学校はこの中から自由に選択できるのが韓国の検定体制だ。ひとまず検定基準に合致し、検定手続きを通過した教科書は採択することができるのだ。これが思想の自由を保障した憲法精神であり、民主社会の法律だ。
教科書の選択権は学校に与えられた自律権だ。担当教師と教科協議会がどのような教材が合うのか推薦すれば学校運営委員会がこれを検討し校長が最終決定する。
どこのだれが全教組や市民団体、またはネットユーザーらにどんな教科書が良くて特定の教科書はだめだという判定権限を与えたのか。これらの団体やネットユーザーは特定の教科書を採択した学校に対する人民裁判をただちに中断しなければならない。
現政権は歴史教育の重要性を考慮し韓国史を必修課目に指定し、大学修学能力試験でも必修課目に指定した。だがこれですべきことをすべてやったと考えるなら錯覚だ。育っていく世代に正しい歴史教育をするといいながら教科書の採択も自由にできないようにする現状を容認してはならない。教育部は第一線の学校が強要と脅迫から抜け出し教科書を自由に選択できるよう保護しなければならない。
日本の教科書採択問題ではこんな↓ことを主張しているのにね。
| 【社説】採択率0.4%の意味 (中央日報 2001/08/16) 歴史歪曲波紋を起こした「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書の採択率が部数基準で0.4%にすぎないことが最終集計で明らかになった。 15日に教科書採択を終えたところ、「つくる会」の教科書の採択は特殊公立中学校6校と私立中学校6校の12校にとどまった。1万2209校に上る日本の中学校の数を考慮すると、採択率は事実上ゼロに近い。10%以上をを目指していた「つくる会」の恥辱的な惨敗だ。 すでに指摘したとおり、日本の父兄と市民団体の良識の勝利だと評価したい。一般書店では50万部以上が売れるベストセラーになったにもかかわらず、教科書としては徹底的に敬遠されたのは、少なくとも国の将来を背負う若い世代には歪曲された歴史認識を与えてはならないという、成熟した判断が働いた結果だと考えられる。 これに比べると、口では過去に対する反省と懺悔を語りながらも軍国主義的侵略戦争の象徴である靖国神社を参拝した日本の政治家らの二重性がさらに情けなく映る。万一、市民らによる排斥で何とか教科書問題が一段落ついたのだから神社参拝は構わないと判断したとすれば、厚顔無恥の極致と言わざるを得ない。 1年余り続いている歴史教科書波紋を振り返ってみると、韓国側の対応にも反省すべき点がある。政府は不必要な言辞も辞さずにあらゆるカードを出すことで弱みを握られ、民間は民間で修羅場同然になっていた。 もちろんこうした対応が採択率を下げることに寄与した側面がないとは言えないが、冷静で落ち着いた対応とは程遠いものだった。そのせいで両国間の民間交流に冷たい風が吹いているのは残念なことだ。「つくる会」の教科書を事実上無用の長物にしたのは日本の一般国民の市民運動だ。類似の事態の再発に備えるためにも、彼らとの対話と交流は奨励し活性化されるべきだ。 今回の歴史教科書波紋を通じて得たものは「反日」ではなく「知日」と「克日」であり、その道は熱い感情よりも冷徹な理性にあるということをもう一度確認するべきだ。 |
| 【時論】日本の良心勢力と「不採択」の連帯を (中央日報 2005/04/05) 予想した通り、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)が作った扶桑社教科書が、改悪されたまま検定を通過した。文部科学省は、この教科書を通過させる過程で、終始、協調的な姿勢を示し、むしろ誘導する役割をはたしてきた。 とくに、前任の文部大臣は、04年に直接、つくる会の集会に出席し、同調する演説まで行なっており、自民党と財界も積極的に協力してきた。したがって、扶桑社教科書は、日本の主導勢力の歴史認識を集大成したものと考えても間違いない。 この教科書は「栄光の日本史」のため、韓国の歴史を他律と従属性のものに評し、植民地化を正当化、植民支配を美化するいっぽう、太平洋戦争の侵略行為を、アジア民族の解放に向けたものに合理化しつつ、むしろ日本の戦争被害を極大化して、被害者としてのイメージを導き出している。 結局、今回の教科書は01年版を巧妙に改悪したものと評価できる。一方、独島(ドクト、日本名・竹島)関連の記述も、公民教科書を通じて、改悪された形であらわれている。01年には扶桑社1社だけだったが、現在は、最も高い採択率を見せている東京書籍と大阪書籍まで加勢している状況だ。 とりわけ、扶桑社の場合、申請本では「領有権対立」と記述していたが、最終本では、もう一歩進んで「韓国が違法占拠している」との記述に変わった。考えてみれば「学習指導要領に、独島が日本の領土であることを明記すべき」という中山文科相の発言を、最も充実に履行したのが、扶桑社の教科書なわけだ。 改悪の形で再生産されたそれらの「教科書挑発」には、日本主導勢力の日本の未来についてのビジョンが盛られている。それらは、平和憲法体制を改正し「戦争可能な国、日本に戻ること」を目指している。それらの表現通り「歴史教育の問題は、改憲・教育基本法改正の問題と表裏一体の関係にある主要課題」なのだ。 「学説の状況からみて、明白な誤りとは言えず、制度上、訂正できない」と一貫している日本政府の態度から考えて、扶桑社教科書の検定通過は予見されていたもので、今後、残られたことは、同教科書が日本の教育現場で使われないよう阻止することである。 もちろん、政府レベルの厳しい抗議メッセージが伝えられるべきだが、これまで着実に同問題を研究してきた学界と市民団体の活動を積極的に支援することに注力するのが、さらに望ましい。01年、扶桑社教科書は0.039%にすぎない採択率で、3億円に近い赤字となる「惨敗」を体験した。 当時、同社は、4年後に10%以上の採択率を達成する、とし「復しゅうする」と宣言していた。そして、宗教団体の支援のもと、会員拡大を図り、同社教科書が採択されやすくするために教育関連条項の改正に努め、版型を大きくして読みやすくするなどち密な作業を行なってきた。 ここで、重要なのは「扶桑社教科書不採択運動」の主体は、良心のある日本市民社会であるしかない、との点だ。実際、01年、同社が参敗したのは、それらの献身的な活動があったからだった。韓国側の極端な対応で、むしろ日本の右翼勢力が勢力を伸ばすような結果をもたらしたり、良心的な市民運動の勢力を委縮させたりするような状況を作ってはならない。 そして、今年が「韓日友情の年」だとの点を積極的に活用して、国民間の交流を拡大し、それらの攻勢が、真の韓日交流をどれだけ妨げているのかを知らせる努力もすべきだ。また、実際に、教科書採択を決定する自治体や教育委員会を直接訪問し、現地マスコミと接触する機会を増やさなければならない。 日本教科書をめぐる議論は、単なる韓日間の歴史紛争なのではなく、東アジアの未来・和平・安定、究極的には日本市民社会の未来と直結する問題である。 要するに「つくる会とその支持勢力は、再び日本の軍事大国化を目指していて、東アジアはもちろん世界を戦争へ追いやる危険な勢力」だとの点を浮き彫りにするのが肝要だ。 |
言いがかり国家「韓国」を黙らせる本
宮越 秀雄

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